157.多分、お金に生々しさを感じる人が損切りできない人な気がする
損切りできない人は「損切りしないといけない場合に失う金額」に生々しさを感じ過ぎている気がする。
「今損切りすると、給料の〇カ月分を失う。この〇カ月分の給料を得るのに、あれだけの時間を使った。あんなに働いた。あんなに苦労した。あんなに努力した。今損切りすると、それらの期間が無駄になる。それらの努力が無駄になる」と考えてるのだと思う。
損切りできる人は、そんなこと一々考えてない。
良く比喩で「損切りできる人は株のお金をゲームの点数だと認識している」とされていて、比喩表現としては確かに合っているけれど、でも正確には普通にお金を「お金」と認識していて、単にお金に生々しさを感じてないだけだと思う。
言い換えるなら、お金を「お金だなあ」とだけ認識していて、お金を「給料の〇カ月分であり、このお金を稼ぐのに、これだけの期間が必要、これだけの努力が必要、これだけの苦労が必要」ということを一々考えていない。
これは努力して考えないようにしているわけではなく、最初から普通に自然と考えていない。
「いや、普通考えるだろ!」と思ってる人にレストランの例を使って説明してみたい。
あなたはレストランに食べに行って美味しいものを食べると「美味しいなあ」とは考えるけど、「この食材を見る限り、原価は〇円で、人件費は〇円くらいだから、この一皿の利益は大体〇円だな」とかいちいち考えてないでしょ?「え!?なんで考えないの!?」と聞かれたら、あなたは「いや、普通そこまで考え無くない?」と思うでしょ。それと同じで、損切りできる人はお金を「お金だなあ」とだけ思っていて「このお金を稼ぐのに、これだけの期間が必要で、これだけの労働が必要で、これだけの苦労が必要で、これだけの努力が必要で……」なんていちいち考えていない。普通そこまで考え無くない?
「お金に関して生々しさを感じてない」という表現は、悪い言い方をすれば「お金の大切さを認識していない」とも表現できる。
「お金の大切さを認識していない」人間の方が損切りできて、株の世界で生き残れるというのは皮肉だけど。